樹木葬のアンカレッジ代表の
「これからのお墓ガイド」

「高輪ゲートウェイ」駅名決定に寄せて

JR山手線の新駅の名称が「高輪ゲートウェイ」に決まりました。JR東日本の社長は会見で「過去と未来、日本と世界をつなぐ結節点としてふさわしい名。多くの人に愛され、浸透して欲しい。」との思いを語っています。高輪は弊社創業の地である「道往寺」の所在地であり、新駅の行く末について特別な関心を持っていた私にとっても感慨深いものがあります。名称についての賛否はあるようですが、「時代と地域をむすぶ」という考え方は、この地にふさわしいように思います。

 

●高輪の歴史と現在

高輪の地名については、港区のホームページに以下の記載があります:

戦国時代がはじまった大永4年(1524)の「軍記物語」に、江戸城を攻めた小田原「北条」軍が、守る「上杉」軍と激戦を展開した地として、「高縄(たかなわ)原」の名が登場します。高縄とは、高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道を意味しています。

その由来のとおり、全体に南北に長い丘陵地を形成しており、東側はかつては海に面した斜面で、斜面の下を海沿いに東海道(現在の第一京浜)が通っていました。江戸時代には、高台から見える海の上の月が美しいということで「月見の名所」として知られ、歌川広重によって描かれた「東都名所 高輪名月」からも当時の様子を窺い知ることができます。

 

高輪地区は、谷中地区や四谷地区と並び、東京の中でも特にお寺の集積度が高い地域でもあります。何故か?江戸時代、主要街道から江戸府内への玄関口(=ゲートウェイ)に位置するこれらの地域において、お寺が「都市防衛機能」を担っていたからです。第一京浜沿いの、泉岳寺駅および高輪ゲートウェイ駅(予定地)に近接した場所に、江戸時代に東海道の玄関口として機能した「高輪大木戸跡」を見ることができます。赤穂義士たちのお墓があることで有名な泉岳寺ですが、忠臣蔵の物語がこれほどまでに知れ渡ったのは、旅人たちがゲートウェイ近くの土産話として、この話を諸国に持ち帰ったからではないか、との説もあるようです。まさしく地域の結節点としての役割を果たしていた場所といえるでしょう。

 

現在の高輪は、超高級住宅地としての印象が強いようです。2012年に週刊ダイヤモンド誌が行った調査では、『上場企業の社長/会長が多く住む街ランキング』の第1位になっており、地価の高さは日本でも有数です。一方で、地価の高さゆえに、昔からこの地に住んでいた人が、土地を手放さざるを得ないケースも少なくないようです。そして、空いた土地を有効活用するためにタワーマンションが建てられ、そこに、この地に魅せられた新しい人々が外から移り住む…。昔から住む人と新しくやってきた人が一緒に暮らしていることも、今の高輪の特徴といえるのではないでしょうか。

 

●道往寺の再生と、多くの人たちとの新たな絆

冒頭にも書きましたが、弊社の創業は、泉岳寺駅から徒歩1分、高輪ゲートウェイ駅からは徒歩4分程度になるであろう道往寺(高輪2-16-13)から始まりました。道往寺の建立は1663年。浄土宗の大本山・増上寺の末寺として、傾斜地に建てられた比較的小さなお寺ですが、江戸時代後期には「月見寺」として賑わったようです。明治に入ってからも、お寺の運営は代々の住職に連綿と受け継がれ、時代の変化の中でも、昔からの代々の檀信徒に支えられながら、その存在を保ち続けてきました。そして、平成の後半に入り、そのバトンは現在の道往寺の住職であり、弊社の創業者でもある柏昌宏住職に受け継がれました。折しも、「体力のないお寺がこれから続々と廃業していく」ことがささやかれ始めた時でした。

 

柏住職は、道往寺の未来をつくるため、大改革に乗り出します。「地域に開かれた、人が集まるお寺に」をコンセプトに、本堂改修、葬儀会館の設立、催し事の開催等、様々な手を打っていきます。その中のひとつが、「今の時代の生活者が本当に求めているお墓」の開発でした。そうして生まれたのが、樹木葬「高輪庭苑」と、それを企画・販売するための弊社だったのです。結果、樹木葬の購入をきっかけに、今では多くの人がお寺に集まるようになりました。「月見法要」も復活し、アーティストによる生演奏に耳を傾けながら、皆でビルの合間から顔を出す月を楽しむことが、道往寺の秋の風物詩になりました。

樹木葬の購入者は様々です。比較的多いのは、今、高輪に住んでいらっしゃる人。地方に先祖代々の墓があるが、通えなくなったので、この地に新しくお墓をつくりたい、という人も少なくありません。中には、昔から高輪に住んでいたわけではない人もいますが、この場所が気に入り、この場所で永眠したい(あるいはご家族を永眠させたい)という人が多いように思います。
高輪から離れた場所に住んでいらっしゃる購入者もたくさんいます。そういう人は、何かしらこの地への思い入れをお持ちです。「昔住んでいたから」「親の実家があったので」等、中には、高輪への憧れを率直に口にされるお客様もいらっしゃいます。

 

この地に思い入れのある様々な人たちが、樹木葬をきっかけにしてお寺に集まる。300年以上の歴史を持つお寺が、大切なことを継続させながら、未来に向けて変わっていく。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、時代と地域をむすぶゲートウェイ・高輪ならではの光景が、この道往寺でも具現化されていると言えるのではないでしょうか。

 

●弊社を振り返って

弊社では、道往寺を皮切りに、現在、全国12のお寺で、樹木葬の企画・販売をお手伝いさせていただいております。お客様のニーズに応える永代供養墓・樹木葬を提供することによって、社会に開かれたお寺づくりをすることを使命とし、日々活動を行っています。幸いなことに、道往寺で見られたようなお寺が変わっていく瞬間に、これまで何度も立ち会うことができました。これからも、ゲートウェイ・高輪を創業地とする誇りを胸に、社業を通じて社会に貢献すべく、頑張っていきたいと思います。今後とも変わらぬご支援のほど、よろしくお願いいたします。

伊藤照男

伊藤照男 株式会社アンカレッジ代表取締役

2012年、浄土宗僧侶の創設した寺院支援の会社・株式会社アンカレッジに参画。
マーケティング視点から、供養を求める人、供養のための空間に着目し、支持を集める。お墓や寺院に関連する法律と行政にも精通。生活者・寺院、それぞれを対象としたセミナーを定期的に開催し、人気を博している。
1975年、北海道北見市生まれ。俳優の鈴木亮平氏に似ていると言われ、気を良くしている。

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