お客様の声

大きな椨(タブ)の木の下で「土に還る」、自分用の樹木葬墓

東京都荒川区・節子様(ご主人様同席)

谷中樹陵 久遠

大きな椨(タブ)の木の下で「土に還る」、自分用の樹木葬墓のイメージ画像

弟が亡くなって心が落ち着かない時に、ここのお墓を見つけて、ご住職のお話を伺って、少し落ち着くことができました。

(樹木葬墓を申し込まれたのは2017年の8月27日。覚えていらっしゃいますか?)

ご住職に面談していただきました。その感じがとても良かったのです。その年の6月17日に弟を亡くしました。階段から転落して急死でした。「ナゼ?どうして?私に何も言わないで一人で逝ってしまったの?」何度話しかけたか分かりません。涙は涸れることなく、今も・・・。弟の話をした時に、ご住職が親身になって話を聞いてくださったのをよく覚えています。

弟の誕生日は3月6日。毎年その日になると「誕生日おめでとう」と電話していました。弟と自分とは2歳差。亡くなった後は、弟は歳をとらないのに、自分だけ歳をとるようになってしまって。私自身、弟が亡くなってしばらくは、表面は普通の生活を送っているようなんですが、内面は不安定な状態が続いたように思います。人生いつ何があるか分からないから、やるべきことは早めにやってしまわないと、と思うようになりました。それがきっかけで、お墓探しを始めました。

新聞の折り込みをきっかけにここの樹木葬を知りました。いいなと思いました。自宅に近いし、子どものころ谷中の墓地で弟と一緒に遊んだ場所。桜の花びらを集めた思い出があります。

夫は、亡くなったら海に流して欲しいとの希望。そうしたら、まわりまわって中国に帰れるかも、と。夫は中国に帰りたいの。夫は最近まで友人に任されて、中国の広大な農園で趣味の農作業をしていました。私は中国で日本語教師、6年間、夢の様な暮らし。だから、私ひとり用のお墓にしました。ただ、後で「やっぱり夫も」となった時のために、墓石の上の段を空けておけば追加できますよ、とこちらのスタッフさんに言われたので、ああいいアドバイスをもらったと。そうさせていただきました。

上半分に(追加彫刻用の)スペースを残した節子様の墓石

気に入ったのは大きな椨(タブ)の木。お墓のある椨の木の下から見下ろした時の見晴らしがとてもよかった。夏でしたから、木陰が涼しかった。迷わずここに決めました。孫が来た時にすぐ分かるように、最前列の場所を選びました(笑)。

決める時に全く迷わなかったので、家族がびっくり。長男からは、「なんで今買うの、今じゃなくても、これからいくらでも見てまわれるじゃないの」と。「チコちゃんに叱られる」ではないけれど、ずいぶん叱られました(笑)。今は、まあしょうがないな、でも、これから大きなお金を動かす時には、必ず自分に相談してからにするように、と。


(お寺の行事にも参加されていますが、お寺に対する印象はいかがですか?)

やはり、ご住職のお話やお人柄は大きいです。お寺であればどこでもいいというわけではないのです。これからも、法話を聞きたいご住職だなあ。信頼して自分の最後を託することの出来る方だなと。

(申込みの後、「土に還る」という手作りの冊子を寄贈していただきました)

生きている間が大事、というのが私の考え方。生きるのが終わったら、浄土や後の世の事などは考えません。だから、自然に還っていく、というここのお墓がとても気に入りました。

私はずっと小学校で教師をしていました。父が亡くなった時には、父の思い出を書いて、同じ装丁の冊子をつくりました。今回の冊子は、自分の心を整理するためにつくったものなんです。

左:手作りの冊子/右:弟様を偲んでつくったちぎり絵

(今日はいもとようこさんの絵本も持ってきてくださっていますね)

最後のページの「風の電話」というエピソードが心に響きました。東日本大震災をきっかけに最後の別れを告げられないまま亡くなった人に、電話線の繋がっていない電話ボックスから、想いを伝えることができる、というお話です。

弟が亡くなって心が落ち着かない時に、ここのお墓を見つけて、ご住職のお話を伺って、少し落ち着くことができました。さらに、私は地域のご高齢の方々を相手にちぎり絵をさせてもらっているんですが、ちぎり絵というのは、やっているうちに癒されるんです。そして、今年になって友達から「風の電話」の話を聞いて、さらに落ち着くことができたように思います。

 

縁を大切に、目に見えない心と心の繋がりを見つめる機会を提供

木内 隆志 住職


節子様と長明寺との接点

久遠(=谷中樹陵久遠)で墓所をお求めになった方が長明寺の本堂で最初に法事を行うときに、いつもお話することがあります。お寺を預かる住職としてひとつだけお願いがあります。供養というものに対して難しく考えないでください。供養というのは、亡くなった方を偲ぶことが大切なんです。偲ぶ場所は、もちろん故人と生活した家の中や仏壇などもあると思いますが、ご本人の亡骸がここ(=長明寺)にあるんですから、ここに来て、故人と心の対話をすることをお願いします、と。

久遠は亡くなった方とそのご遺族のための施設。それをお求めになった方に「あなたがたが向き合うものは何ですか?」と問いかけるのが法話だと思っています。「扉を開く」ということ。ご自分がこれまで触れていなかったものを知ることによって、じゃあお墓参りに行こうか、と。

私たちはその機会を提供しているんです。お寺との縁ができてよかった、心が落ち着く、という声に対しては、自分たちのやっていることが多少なりとも伝わっているのかなと、嬉しく思います。

節子様は死後の世界を信じないという考え方。久遠は霊園なので、死後を信じない人も、死後が灰色の世界だと思っている人も、信仰を問わず「受け入れる」ということ。黙ってそして縁を大切に見守る、というのが久遠を求められた方へのお寺の姿勢だと思っています。

節子様がお感じになった安心感について

お寺の魅力は様々です。人であったり、ハードであったり。ハードに関しては、左右が8センチも傾いてしまっていた古い本堂を取り壊し、6年前に新しい本堂を建てました。古い本堂ならではの威厳はなくなりましたが、明るく親しみやすいとおっしゃっていただくことが多く、なにより手を加えれば、これから200年の建築保障がついています。お寺の伽藍(がらん)が整備されている、ということも安心感を感じてもらえる要素になっているのかもしれません。

久遠の構想を練っている時に考えたこと。せっかく立派な庭があるので、これを活かしたい。庭とは自然を見ること、感じること。自然を感じられる、夏であればお参りする人が暑いと感じた時は、仏様も暑いと感じる、同じだよね、と言えるようなお参りする環境を提示することにしました。

よく、(久遠は)陽当りが良く場所が良い、とおっしゃっていただくけれども、あそこしか場所がなかったというのも事実なんです(笑)。さすがに檀家墓地の真ん中に、空きがあるからと言って(樹木葬を)造成するわけにはいかないですし。

椨(タブ)の木は生きています。亡くなって、たとえゼロになっても、(椨の木の下で眠ることによって)生きる力に変わる、ということかもしれません。
実は椨の木のまわりは、設計図がつくれなかったんです。木の根っこがどこまで伸びているか分からなかった。造成業者さんも、やれるかどうか分からないけど、やってみましょうということで、恐る恐るやってこのような形になりました。

節子様は、生きているがゆえに、おっしゃるようなご苦労があった。それが、ご自分の墓所を決めたことをきっかけに、お互いに新たな縁が始まりました。
縁を大切にすること。それをお互いに見つめ合うきっかけをつくるのが、お墓であり、お寺をはじめとする宗教施設。宗教施設というのは、目に見えない心と心の繋がり、人と人との繋がりの場所なんです。節子様は、それを分かってくださっているのだな、と嬉しく思います。

ページの先頭に戻る