お客様の声

いずれ自分もここに帰ってくる。夫が向こうで待っていてくれると思うと余生が楽しみになりました。

千葉県松戸市・H様

松戸庭苑

いずれ自分もここに帰ってくる。夫が向こうで待っていてくれると思うと余生が楽しみになりました。のイメージ画像

夫は若い頃から庭園が好きで、
庭園に関する仕事を中心にやってきていたので、
すごいご縁だなと思います。

■最愛の夫の死

2年前の6月21日に、夫は旅立ちました。
夫は4年ほど前、血尿がひどくて近くの泌尿器科を受診したところ、膀胱に腫瘍が見つかりました。すぐに大学病院あての紹介状が書かれて、検査に行くように言われました。
大学病院で検査したところ、膀胱がんと診断。
医師はすぐに手術の日程などの段取りを決め始めましたが、夫は「俺は手術は受けない。仕事ができなくなる。医者も信用してないし。」と言って拒否しました。

とりあえず、私が通っていた中国医療の漢方の先生のところへなら行くというので、一緒に行き、その先生に処方された漢方薬を飲み始めました。
夫の医者嫌いは、小さい頃に「絶対に痛いことはしない」と父親が言うから病院へ行ったのに、行ったら突然おしりに注射されたのがきっかけだと言っていました。

夫は編集者でした。
仕事が好きな人で、亡くなる2週間前まで家で仕事をしていました。最後の外出が1月31日で、以降、半年くらいずっと家の中で過ごしました。足に水が溜まってパンパンに腫れて、徐々に歩けなくなっていきました。6月19日から講師の仕事が始まる予定でしたが、「歩けなかったら、タクシーででも行く!」と言っていました。

責任感の強い人で、入院なんてして、仕事に穴を空けたくないと思っていたのでしょう。
でも最終的には、心臓にかなり負担がかかっていたらしく、息切れと咳がひどく、呼吸もままならないほどになってしまい、「これはただ事じゃない!」と思った私は慌てて救急車を呼びました。それでも夫は最後まで抵抗しましたが、隣人の方の力も借りて無理やり救急車に乗せてもらいました。
救急病院に着くと、もう、心臓がほとんど動いてなかったそうです。
夫は翌朝亡くなりました。59歳でした。夫は本当に筋金入りの病院嫌いでしたが、嫌いな病院は最後の1日だけ。ずっと好きな仕事をして、最後まで家で私と一緒に居られたので、良かったのかなと。今は、「しょうがない、運命だったのかな」って思います。

 

■日本庭園がライフワークだった夫

夫が亡くなってしばらくは、私は気が動転してしまっていたのか「そんなにお金もかけられないし、子どももいないし、近くの納骨堂でいいかな」と考えて資料を取り寄せていました。
しかしある日、義弟がテレビでこちらの樹木葬のことを知ったらしく、「兄貴がこのままでは納骨堂に入れられてしまうから、自分に教えたんじゃないか?」って言ってきたんです。
それで私も、そう言えば10年くらい前に夫が、「俺は普通のお墓は嫌だ、お墓に入るなら樹木葬がいい」って言っていたのを思い出しました。
夫は若い頃からずっと日本庭園にこだわり続け、大学でも学び、日本庭園に関する仕事を中心にやってきていたので、すごいご縁だなと思います。

この本は、夫が膀胱がんだとわかった後、「絶対良くなる!」と言って、夫が自分で企画し出版社に持ち込んで、出版された日本庭園の本です。写真も文章も、ほとんど1人で夫がこなしました。私たちにとっては子どものような作品です。

義弟と2人で松戸庭苑へ見学に来たところ、2人ともひと目見て「ここがいい!」と気に入ってしまい、その日のうちに決めました。

私と夫は大学を出た後、専門学校で知り合って、6年後に結婚。結婚生活は29年でした。もちろん喧嘩はしょっちゅうしましたが、仲の良い夫婦だったと思います。

 

墓標の彫刻は、義弟がデザイン画を持ってきてくれました。夫の家族が猫好きで、白い猫を飼っていたため、白い猫を私たち夫婦に見立てています。背景の木は、義母が夫を出産したとき、産院の窓から真っ直ぐな木が生えているのを見て夫に「正樹」という名前をつけた、という由来からです。

 

義弟と夫は本当に仲の良い兄弟で、今でも「俺は兄貴を尊敬しているし、俺の憧れ。兄貴は俺のスーパースターだ!」って言います。

我が家には、すでに両親の黒い仏壇があったのですが、そろそろ買い換えようと思って義弟と仏壇屋さんに行ったところ、「兄貴には黒は似合わない。半分出すからこれにしよう!」って義弟のすすめで白い仏壇に決めました。

 

■新しいことに挑戦

お墓が決まって、本当に良かったです。気持ちが明るくなりました。
「いずれ自分もあそこに入る。ここに帰ってくる。夫が向こうで待っててくれる。」と思うと何だか楽しみになりました。

夫が亡くなって1年くらいは何となく家に一人で居たくなくて、なるべく外出していました。未亡人会にも入りましたし、仕事もしていました。でもいろいろ忙しくしていた割に夫を亡くした1年目のことは、はっきり覚えていません。

去年辺りからは、「夫が向こうで心配しているかもしれないから、もうちょっと幸せになろうかな」と思って、今までやらなかったことに挑戦しようと考え始めました。
1月からは、好きだったジャズのボーカル教室に通い始めました。10月からは、こちらのお寺で三味線を習う予定です。
ギターは昔やっていて、挫折したことがあるのですが、今さらプロを目指すわけではないんだし、楽しんでできたらいいんじゃないかなって。三味線の音色が好きで、元気を出すには良いかなって思うんです。
コロナの関係で未亡人会の友だちも私も、みんな落ち込んでいましたが、最近はリモートで話せるようになりましたし、家に一人でいることも苦痛ではなくなりました。

お墓参りは、多いときは1週間に1度。仕事などで忙しいときでも1ヶ月に1度は来ています。たまに義弟と来ています。

初めてこちらへ来たのは夫が亡くなった約1ヶ月後でしたが、そのときに比べると「表情が明るくなった」って言われます。もともと明るい性格なのですが、今年になってからは、より前向きになりました。

夫の遺骨は、ほとんどこちらへ納めました。でも、少し手元に残しておきたいと思い、小さい骨壷を買って、そこへ入れて自宅の仏壇に置き、この指輪にもひとつまみほど入れました。

おかげで、時々夫が夢に出てくるんです。コロナで落ち込んだときは、「この状況を逆に楽しめ。僕がいなくても、君は人生楽しめ。」って。すごく励みになります。

 

證誠院 塔頭 常信寺・大隅住職と お寺の関わり方についてお話し

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