お客様の声

子どもたちに負荷をかけないように、生前で樹木葬を購入。

東京都板橋区・碇様

谷中樹陵 久遠

子どもたちに負荷をかけないように、生前で樹木葬を購入。のイメージ画像

兄弟のような関係だった従弟の隣で一緒に眠りたいと思いました。

2017年11月、私より2歳年下の従弟が旅立ちました。「碇」姓で現存していた親族では私とこの従弟と二人だけになっていました。
彼の遺族(妻、長男、長女)は、彼の遺志にも沿って樹木葬とすることにし、様々なところをあたってみたようです。いろんなところがありましたが、アンカレッジの方、そして長明寺の方々とお会いし、「谷中樹陵 久遠」を見学した時「ここだ」と即決したとのことでした。

納骨に立ち会った私たち夫婦は、どっしりとしたタブノキの下の安らかなその場に、なんとも言えない安息感を覚えたものです。お寺の静寂な空間、そして空気。また、花々を個々にではなく、そこに安らぐみんなに供えることにも大いに共感したのです。そしてその時、私たち夫婦も、彼の横に安らぐところがほしい、との思いが明確になりました。

 

「碇」の出身地は熊本県南部に位置する人吉市です。
彼とは幼少期から歳の近い兄弟のような関係でした。年上が姉ばかりだったこともあるでしょう。彼が大学に入り上京した際には、先に来ていた私の下宿に呼び寄せ、3畳2間を、それぞれ勉強部屋、寝室として2人で共用していました。そんな2人でしたから、歳上の私より先に逝った彼に、とても寂しい想いをさせられたものです。私としては「碇」を並べたかった、との思いもありました。

アンカレッジの方々は、とても分かりやすく丁寧に説明してくださいました。長明寺の方も、宗旨宗派などにかかわらず受け入れてくださるとのこと、格別信心深いわけでもない私も安心してお世話になることにしました。

 

 

私は昭和21年6月、母のお腹の中にいる時、中国・山東省から引揚げできました。上には五人の姉と二人の兄がおり、彼らはみんな中国生まれ。引揚げの後の貧窮のなかで、3歳の時に末子の私は人吉に居住していた遠縁の「碇」の家に養子に出され、「碇」姓となったのです。その後、中学に上がる時に学校の都合で地元を離れ、その後は養父母に会いに帰るだけでした。

従弟の彼も、学校の都合で中学の途中に熊本市へ移り、大学の時に東京で再会したようなわけです。
2人とも既に人吉との縁は薄くなっていますし、両家の子どもたちも東京にいるため、私たちの逝去後のことで子どもたちに負荷をかけることはしたくありません。きっと彼も同じ思いだったことでしょう。

 

おしまいにもうひとつ。
19年と53日、私の家族として暮らしてきた「かんな」(神楽坂生まれの猫:2014年11月7日没)も私たちが眠る予定の場の横に眠っています。安心して眠っていることでしょう。

折々に長明寺を訪れ、同時に谷中の街歩きも楽しんでいますが、谷中は街そのものが心安らぐ場所でもあります。そして、長明寺の境内でもしばらく腰を下ろして、その時々の風や、音や、緑や、空気を感じながらひと時を過ごしています。

よい場に決めた、と心から嬉しく思っています。お世話になっている長明寺のご住職はじめ副住職、アンカレッジの皆さま方に深く感謝しております。

 

 

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