終活① ――「終活」が必要になった理由
近年になって「終活」が誕生した理由
「終活」という言葉の歴史は存外浅く、2009年に週刊誌の記事で使用されたのが始まりと言われています。2012年度には既に「ユーキャン流行語大賞」でトップ10にもランクインしており、今やすっかり市民権を得ていると言って間違いないかと思います。
「終活」の意味を端的に言えば「死に備える活動」となりますが、古来から人が亡くなるのは当たり前であったにも関わらず、何故現代になってこういった言葉が生まれたのでしょうか。
その理由はいくつか考えられます。
①日本の少子化・地縁に頼れない環境
ひと昔前は兄弟が多く、また生まれ育った土地を離れることも比較的少なかった為、親の介護や死後の対応は親族間や近隣の助けを受けて分担することができました。
対して、少子化に伴う親類縁者の減少、転居等による地縁の喪失などが多くなった近年では、子どもを主とする家族1人あたりの負担が大きくなってきます。
その為、家族への負担をできるだけ軽減できるよう、生前に備えておくことを希望する方が増えています。
②医療の発達と長寿化
栄養状況の改善により平均寿命が延び、また医療技術の発達とともに長期に亘る延命が可能になった分、健康寿命と実際の寿命に開きが出るようになりました。令和2年の平均寿命は男性81.64歳、女性87.74歳でしたが、その健康寿命との差は9~12年とも言われています。
寿命が延びるほどに、「病気等で自分1人では生活ができなくなった場合に誰に世話をしてもらえるか」また「認知症になり自分の意思表示が難しくなった場合に、誰に身の回りの判断をしてもらうか」という問題に直面する可能性も高くなります。
いざという時に誰に頼るべきかの確認や、身体が不自由になると予想される老後の生活に合わせた住環境や保険の見直し、延命治療の希望の意思表示などを、元気なうちに検討することが、自分の望む快適な老後を過ごすうえで重要になってきています。
③離婚・再婚・事実婚の増加
家族関係の多様化に伴い、遺産相続も以前に比べて簡単にはいかないケースが増えてきます。家族間のトラブルを防ぐためには、事前の遺産整理が必要になってきます。
④選択肢の多岐化
以前は「慣習」「習慣」に従うことが当然とされた中で、例えば「葬儀や墓はどのようなものにするか」という問題は、慣習に基づいた形式が提示され、それを選択することを当たり前に受け入れる状況が近年まで続いていたように思います。
慣習に従うことを決して否定するものではありませんが、社会状況が急激に変化し多様化するなかで、慣習に倣うことが難しい(お墓を例に出せば、「お墓を継ぐ人が居ないから代々のお墓を維持できない」といった)状況も発生しています。
新たな選択肢が生まれ、また候補の中から自由意思で選択できるようになって来たことは喜ばしいことだと思われます。
しかしその一方で、選択肢がそもそも無い時代であれば気にする必要のなかった「自分が何を望むか」「故人は何を望んだか」を、本人や遺族が考えなくてはならない状況にもなっています。
もちろん「全然気にしてないから遺された人の好きにして!」という方もおられるとは思いますが、その「好きにして良い」という意思表示をしておかないと、遺族を悩ませる‥ということにも。
地縁の希薄化が生んだトラブル事例
2024年4月にNHKで特集された 「誰が火葬のOK出したんや」兄はどこへ消えたのか? では、自宅で倒れ救急搬送された独居の男性が、徒歩圏内に兄弟が住んでいたにも関わらず、無縁仏として公営納骨堂に埋葬されてしまったことが報道されました。自治体の戸籍調査が十分ではなかったことが原因ですが、調査範囲に具体的な規定はなく、各自治体の判断に委ねられているのが実情であるため、他に同様のケースが起こらないとも限りません。
その為、日常的に近隣との付き合いがない方の場合、万一の時には縁故者へ適切な連絡がされるよう、緊急連絡先を分かりやすい場所に配置しておくことが必要です。そういった思わぬ落とし穴に備えることも、終活の一環として必要な時代になっています。
必ずしも全員に「終活」が必要な訳ではありませんが、「昔は終活なんてやってる人はいなかった。だから自分もやらなくて良い。」と安易に思っている方は、今一度、本当に必要なさそうか考えてみた方が良いかもしれません。
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